「もし」「たとえば」を使わず語る

語りたいことが「自分事」であるということ。

自分が「当事者」で、自分が語りたいことの根源とは何か?を考え続けている。
「自分事」「当事者」であれば、『もし・たとえば』という言葉は出ない。

『もし・たとえば』を使うということは、今ここで自分が語っていることが、どこからか引っ張ってきた引用やウケウリである。

引用やウケウリを自身の思考に取り入れ、すり合わせ、新しい考え方を創造することは、悪いことではなくいい事である。

しかし、その創造した事柄が、「今ここ」に当てはまるのかを考え抜いたか/考えていないかで、『もし・たとえば』を使う/使わないの差が出てくる気がする。

(たとえば(笑))、ものづくり世界だと、「クルマなら・・・」と語る人がいる。「たとえばクルマなら」「もしクルマなら」と、『もし・たとえば』を使わざるを得ない。そのクルマからの引用やウケウリと、「今ここ」の「当事者」である自分の知識、経験、想いにすり合わせながら当てはめ、「自分事」にする過程が抜けているのである。

「もし私なら」「たとえば私なら」ということがある。これも「自分事」にする過程の途中。自分が「当事者」になりきれていない。相手と共感し、体験を共有し、相手に入り込めていない状態であると考えられる。

「あなたならどうする」ではなく、「わたしはこうする」

『もし・たとえば』を使わず語る人は、日々、自分が語りたいことに対して、いろいろな、経験、知識を呼び出し、さまざまな情報とすり合わせ、夢の中でも考え、時間を凝縮し、次元を超えて考え抜き、自分の思考として再構築する訓練、練習、妄想を日々繰り返している人だろうと思う。

何かを実行するとき、中途半端は後悔することが分かっている人。だから、『もし・たとえば』はあり得ない。

『もし・たとえば』で他人は共感しない。自分事でなければ。


コンピュータ化システムバリデーション(CSV)

品質(Quality)の意義とは何でしょうか。

2019年、日本の名の知れた企業からボロボロと品質不正問題が報告されました。

日本は比較的高水準の品質を維持してきたという自負があったでしょうが、なれ合い、隠ぺい、改ざん、良いとこどり。。高度経済成長で日本が作り上げた品質は、それを作り上げていた頃の緊張感を受け継ぐことなく時代が進んでいく。
今は、大量生産から変種変量、一品一様、人不足、技術伝承など状況が異なる背景も影響しているでしょう。

品質の仕組みは、QC、TQC、TQMと進化し、品質認証ではISO9001、自動車ではIATF16949などがあります。時代が進んでいけば、仕組みや認証制度は充実しているはずです。

品質の仕組みを構築し、品質認証を取得し、維持することは大変です。通常のやり方では、紙の記録まみれになり、業務が煩雑化し、現場は疲弊し、その結果、なれ合い、隠ぺい、改ざんが起こります。

『品質問題が出ました。人によるダブルチェックを行います。』は、最悪です。

コンピュータ化システムバリデーション(CSV)の誕生

こういう時代を先読みし、煩雑化、紙の記録の氾濫にいち早く反応したのが、FDAでした。

1997年8月 米国FDAは、記録書類のペーパーレスを見越して、21 CFR Part11「電子記録・電子署名に関する規制」を発行します。
ここに、コンピュータ化システムバリデーション(CSV)が誕生します。
品質を維持しながら業務効率を上げる。それは、紙の氾濫を抑えることであり、それには電子化が必須で、電子化を達成するには、コンピュータを使った仕組みの妥当性の確認が必須と考えた訳です。

21 CFR Part11 主たる要求
  • コンピュータ化システムバリデーション(CSV)されたシステムを使用すること。
  • 電子記録は、正確で、完全で、改ざん出来ないこと。
  • 記録の変更履歴(誰が、いつ、何をしたか。)は、コンピュータが自動的に操作履歴(監査証跡)を作成すること。
  • システムの開発者、使用者。維持する人は、Part11の教育を受け、経験を有すること。
  • 信頼性の高い電子署名を使用すること。

ただ、この規制の発行が早すぎました。当時のソフトウエアの力では、膨大なコストと手間がかかり、これらの規制要求が満たせませんでした。10年前でもこれを満たす仕組みが多くなく、莫大な投資が必要であったことを記憶しています。

Part11発行から、20年以上の混乱の中、GAMPを始め、CSVに関するガイダンスの発効、それに基づく解釈を経て現在に至ります。ソフトウエアの進化もあり、今は、かなり要求を満たせるようになってきました。
一方、ソフトの進化でAIの台頭など、ソフトがより複雑化し、人がロジックを理解できない状態、すなわちブラックボックス化されつつあると言われます。今、CSVの意義が試されています。

コンピュータ化システムバリデーション(CSVとは)

CSVとは、コンピュータシステムで統合された工程または作業、及びコンピュータシステムにより実現される機能を利用する業務プロセス全体の妥当性確認を示します。
コンピュータシステムバリデーションです。「」がその仕組み全体を示しています。
また、コンピュータ化システムの開発から運用、廃棄といったシステムライフサイクルにおける活動全般の妥当性確認を行うことです。

コンピュータ化システムバリデーション(CSV)の範囲

医薬品、医療機器以外のものづくりに欠けているのは、あらゆるコンピュータ化システムのCSVが実施されていないことです。
当たり前ですが、電子化で効率化する一方で、デジタルデータは仕組みが無いと簡単に改ざんできます。バグも起こります。

ものづくりを取り巻くコンピュータ化システム(例:医薬品)

電子化とCSVは必ず一対で考えねば、品質は成り立ちません。

継続した緊張感

また、品質は、仕組みも大事ですが、継続した緊張感が大切です。

医薬品、医療機器は、FDAを含めた規制当局の厳しい査察(査察がいずれ来る)による緊張感によって、様々な業界を見渡してもトップレベルの品質維持が出来ています。

様々な業界の品質問題を見るたびに、CSVの仕組みが根付いていれば、もう少しマシな結果だったのでは、と感じます。

CSVは、複雑化するコンピュータの仕組みを使いこなすための手法として、今後、様々な業界で採用されていくことになるでしょう。


技術デューデリジェンス

デューデリジェンス(DD)は、一般的に、ビジネス(事業性/収益性)、知財、法務デューデリジェンスあたりが実施されます。 販路拡大など単純な規模の拡大を目的としたM&Aは、比較的成功しやすい領域です。

しかし、昨今、中小企業の高齢化に伴い、事業承継に関連したM&A活動が活発になる一方で、事業承継求める企業の多くは、複雑な技術、いわゆる匠の技を基本としており、買い手によるその技術の理解が、複雑になればなるほど、技術の優位性が適正に評価できず、事業承継やM&Aをあきらめる状況がかなりあることも確かです。

このように、互いの技術シナジーを模索するようなM&Aの場合、売り手/買い手企業に関わる技術、またそのシナジーが市場に対してどの程度の優位性を発揮できるかにかかってきます。

1)そもそも、買い手/売り手企業が持つ技術の優位性があるのか無いのか分からない。
2)潜在的に技術優位性はあるように感じるが、すなわちそれがズバリ何なのか、論理的裏付けが出来ていない。
3)技術優位性(技術DD)は確認できたが、それを将来どう生かしていいのか、シナジーのイメージがつかない。分からない。

このような状況に陥っているのではないでしょうか。


リスクコントロール

何事も「絶対に起こらない。」と言い切れない。

いまやリスクマネジメントプロセスは、品質マネジメントシステムに完全に統合するされることが望まれ、「受け入れ不可能なリスクのないこと」を目指します。
リスクの定義は、「危害の重大さと危害の発生確率の組み合わせ」です。
何事も「リスクを予想し、リスクの高い項目に関して重点管理を行う(リスク・ベースド)」これが求められています。

リスクコントロールは、すなわち、「危害の重大さを減ずる」、もしくは、「危害の発生確率を減ずる」ということです。

リスクリスクコントロールの方法は、ISO12100 JISB9700「3ステップメソッド」が明確でわかりやすいです。

「危害の重大さを減ずる」=「本質的安全設計方策」

1.本質的安全設計方策

機械自体及び/又は機械と暴露される人との間の相互作用に関する設計特性を適切に選択することで、危険源を除去するか又はリスクを低減する
危険源を除去できる唯一の機会 ⇒ 危害の重大さ/発生確率を減らせるのはここだけ

2.安全防護及び/又は付加保護方策

危険源を除去又はリスクを十分に低減することが本質的安全設計方策で実施できない場合、意図する使用及び合理的に予見可能な誤使用を考慮して適切に選択した安全防護及び付加保護方策を講じることで、リスクを低減する。

3.使用上の情報

本質的安全設計方策、安全防護及び付加保護方策の採用にもかかわらず、リスクを十分に低減できない場合、使用上の情報で残留リスクが認識されなければならない。

本質的安全設計方策 ISO12100 JISB9700

1)幾何学的要因及び物理的側面の考慮
  幾何学的要因:死角の低減、すきま、鋭利、位置
  物理的側面:作動力、運動エネルギ、騒音/振動/粉塵/放射
2)機械設計に関する一般技術知識の考慮
  応力、材料、騒音/振動/粉塵/放射
3)適切な技術の選択
  防爆/発火/騒音
4)ポジティブな機械的作用の原理の適用
  稼働なものが剛体を介して他を必然的に動作させる(例:カムなど)
5)安定性に関する規定
  重心/振動/基礎/風圧/人力
6)保全性に関する規定
  接近性/取扱い/特殊工具
7)人間工学原則の遵守
  ストレス/身体構造/温熱/リズム/照明/手動/視覚
8)電気的危険源
  開閉/断路/感電
9)空圧及び液圧装置の危険源の防止
  圧力(最大/変動/増加/喪失)、漏れ/噴出/暴れ、圧縮性
10)制御システムへの本質的安全設計方策の適用
  コンピュータ化システムバリデーション
11)安全機能の故障の確率の最小化
  非対称故障モード、冗長化
12)装置の信頼性による危険源への暴露制限
13)搬入又は搬出作業の機械化及び自動化による危険源への暴露制限
14)設定(段取り)及び保全の作業位置を危険区域外とすることによる危険源への暴露制限

この「本質的安全設計方策」の概念は、独立行政法人労働者健康安全機構 労働安全衛生総合研究所殿の以下ページが、非常にわかりやすいです。

https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/mail_mag/2017/99-column-1.html

以下がその概念図です。

危険状態/暴露状態の概念
本質的安全設計方策の概念 危険状態を排除(減ずる)4つのパターン
安全防護及び/又は付加保護方策の概念

危害の発生確率は
 P1:危険状態の発生確率
 P2:危険状態が危害に至る確率⇔回避可能性
の関係で表します。
発生確率は10のべき乗、その乗数が危害の発生確率のレベルとしてあらわされている事が多いです。

リスクコントロールで一番困るのは、どうすれば「受け入れ不可能なリスクのないこと」と言えるのか。ということです。
これは、業界、社会情勢、国、常識などの影響があるため、一概に受容レベルは規定できません。

そんな中、発生確率に関して、日科技連の研究会で開発したリスクアセスメント R-Map(Risk-Map)に、発生頻度”0”の提言がされています。

https://www.meti.go.jp/product_safety/policy/riskhyouka.pdf

発生頻度”0”の目安

参考:経済産業省資料製品安全対策に係る事故リスク評価と対策の効果分析の手法に関する調査(2007年度)

10^-8に見合う部品が無い場合には、これらの部品が壊れても事故を起こさないフェールセーフ、冗長化など、制御システムの本質的安全設計を行う。


生産設備への投資とは

「生産設備は良いハードやソフトウエアを買えばよい。」

では足りない時代です。投資効果を最大化するために、生産技術を基軸として、現場をよく理解し、様々な利害関係者(機械商社、生産設備メーカ、資材、行政、研究機関)ともつながって考えぬく「サービスの融合」が不可欠になってきた時代です。

eq_cycle

上の図は、生産設備投資における現場サイクルを示しています。商品使用者を始めとして、製造元、生産設備関連メーカ、行政、商社等の互いの利害関係を考え、「付加価値」を定義します。
「付加価値」は、生産する商品にとどまりません。ものづくりの各過程における付加価値を考えて、最大化し、その最大化過程で発生するさまざまな問題を専門者間のコミュニケーションによりうまく解決し、ユーザーだけでなく、関係者が幸せになれる体験を作ります


独立&起業に至る経緯についてのインタビューを受けました。

独立&起業に至る経緯についてのインタビュー記事が、株式会社リプルが運営する MANUCAREER LAB「ものづくり技術者の新しい”はたらく”を見つけるwebマガジン」に掲載されました。

40歳で独立&起業を決意した理由とは?シスメックス出身技術者長谷川氏が語る

独立前と独立後でスケジュールはどう変わる?独立して活躍する技術者に聞く


インクルーシブデザイン

これからは社会課題を解決していく時代

大量生産型の中で生き、働いていく中で、どちらかというと企業の中で後回しにされる傾向があった社会課題の解決手法とその実践を行ってきた先生方の授業は、その内容もさることながら生き方について、考えさせられ、また今後の自分のあり方について、大切なヒントをいただきました。

私は、昭和生まれ、段階の世代ジュニアとして育ち、高専を卒業した就職時は、バブルがはじけた経済状況であったものの、依然として大量生産、効率化が良いことであるという社会通念の中で社会人生活を生きることになります。
そのしっぺ返しとして、長らくのデフレ、不景気、何となく経済が上昇しない気風、それにつられて人々の幸せもなんとなく幸せでないような。そんな雰囲気を味わってきました。

20代はエクストリームユーザーには気にも留めていません。つまり、インクルーシブデザインなど知りません。それは、時代背景を考えると当たり前の事で、大量生産型の考え方だからです。
転職し、子供が生まれ、仕事と家庭を両立させないといけない状況になっていくに従い、自分の幸せに対する考え方、自分のあり方、時間のあり方に疑問を持ち始めます。自分の存在意義を考えた時に何をすることが自分にとって最適なのか。だんだんとそれが分からなくなっています。ただがむしゃらに自分が自由にできる環境を作る。そこに没頭しているような状態です。とても変化に富み、刺激があって良いのですが、ゴールはまだ見えません。

失われた20年30年と言われながら、今大きくなった平成生まれの学生たちに、大量生産、効率化の考え方は根付かなかったようです。それは文化として、たくさん作っても意味がない社会環境、大量生産型の大企業がどんどんつぶれる。海外のイノベーティブなIT企業が台頭する。
そして、私自身も変わらなければならない時期に来ています。

インクルーシブデザインを知ることで自分の中の何が変わっていくのか。なかなか従来の考え方を変えることが難しくなっている中で、先進的な考え方の学生と、それを乗り越えてこられた先生方の話を聞き、少し変わるきっかけをつかめた気がしています。

このインクルーシブデザインの授業では、アイマスクによって目の不自由な人を疑似体験し、車椅子に乗って足の不自由な人を疑似体験し、体験をすることによって、脳を使って、それを記憶する。このサイクルを回すことが、多様性理解の第一歩。何事も体験であると。

特に、視覚を外すということの不安感は何とも言えない体験でした。
人が情報を取得するための方法の約8割が視覚と言われています。また、『目は口ほどにものを言う』というようにコミュニケーション手段の一つでもあります。
普段、私は知らず知らずのうちに、年をとって無駄に経験を積んでしまったせいで、実体験もせず、何かと頭で想像して片付けてしまっています。「これは、こういうことでしょ?」という風に。人は経験と知識がある程度備わってくると、ある知識とある経験をくっつけて新しい疑似経験を作る癖があります。それが創造につながるわけで悪い能力ではないのですが、知識と経験を積むということは永遠であり、知識と経験が充分ということもあり得ない中で、自分ではそうならないようにしているつもりでも、やはり、そうなっていますね。視覚を外してよく分かります。

実際にアイマスクによって視覚を外すと、体が動き、脳が考えます。脳の中の顕著な変化を感じることが出来ました。頭の中に3次元の空間を描こうとしていました。そして、頭に3次元空間を描くことが出来ると少し不安感が和らぎます。目が見えても見えなくても人の脳は3次元空間をベースとして行動を制御していることがよく分かります。
先生のおっしゃる通り、実際に目で見た経験がある人は、その今まで見ていた映像を使って3次元空間を描こうとします。では、元々全盲の人はどのような3次元空間を描くのでしょうか。非常に興味がわくポイントです。

先生のお話で印象に残ったのは、「出来ないことを出来ないと思わず、何か工夫する、方法を考えることによって出来るようになる。」ということです。これは、インクルーシブデザインの本質の一つではないかと思います。

出来ない(分からない)というのは簡単で、周りが出来ないと思い込むことは、相手の向上心を奪うことになる。あらためて感じます。これは、目が見えない方だけでなく、子供や老人、性別、人種など、多様な人の理解に共通して言えることではないかと思います。
そして、コミュニケーションの大切さ。先生は目が見えない代わりによくしゃべります。コミュニケーションを言葉一つで行うためです。目の情報を音声でカバーするためにしゃべる。ただ、それだけではないと感じます。

先日、新幹線乗り場で全盲の方がホームで困っているようでした。私はしばらくその人を見ていました。ただ、本当に困っていそうだったので、「お手伝いしましょうか?」思い切って声をかけてみました。「はい。自由席はどこでしょうか?」明るく臆することもなく、その方は何が困っているのかを端的に明確に私に伝えました。
言葉によるコミュニケーションのウエイトが大きければ大きいほど、端的に明確に伝えなければ伝わらないということを感じたことが印象的です。私のように、もじもじしていてはいけませんね。

目が見える場合、ある程度、目に頼るので言葉が不明瞭になることもあります。これがあれしてそれして(目でものを言っている)・・・みたいに。
ガイドは的確に何を言えば目の見えない方に正確な情報を与え、3次元空間を描いてもらえるのか。私も今回のWSで体験させてもらいましたが、うまく言葉が出てきません。訓練が必要です。

体験は経験になりますが、古い経験は美化されたり陳腐化したり、形が変わったりします。
それを考える時に、したいときに、その時に感じてみる。この感覚はすごく大事であると改めて感じました。より多面的に本質を考え抜く。
インクルーシブデザインの本質に迫っていきたいと思います。


しあわせのイノベーション

あなたは欲しいモノをどうやって手に入れるでしょうか。
お金で欲しいモノを買います。
お金はどうやって手に入れるでしょうか。
当たり前ですが、働いて手に入れます。

人が生きるには、お金が不可欠になりました。いわゆる「交換」です。

近代、お金は金本位制でなくなり、紙幣となって大量発行、流動化し、本来は価値の無い紙幣自体に価値があるようになり、お金のあるところにはさらにお金が集まり、お金の無いところはさらにお金が無くなる事態が起こっています。
現在では、世界全体の最富裕層上位1%が、世界総資産の半分を保有しているそうです。

お金が爆発的に増加し始めたのは、近代、17世紀ごろからと考えられます。経済学でいう古典派(アダムスミス)の時代です。

17世紀ごろまで人は、共同体の中で、その土地に属して暮らしていました。しかしこの時、ついに人は「欲求(私利)を肯定」します。共同体から個人が自立し、個人が土地を開墾し囲い込みます。
地主が生まれ、囲い込んだ土地からたくさんの余剰な作物が生まれます。余剰分は市場に出され、お金に交換し、お金持ちになる。余ったお金で、ぜいたく品を買う。このように、アリストテレスの時代では例外的であった「市場」が主となっていきます。

ここから、市場はどんどん大きくなり、それに伴ってお金はあふれていきます。
17世紀:欲求(私利)が芽生え、共同体から個人は自立した。
18世紀:農業革命で、自然の土地をお金に交換した。
19世紀:産業革命(軽工業)で、人の労働をお金に交換した。
20世紀:産業革命(重工業)で、人の労働の分業と効率化の追求。
21世紀:情報革命で、人の知識をお金に交換した。
経済学もお金と共に変わっていきます。現在の「経済成長」という意味は、より沢山のお金を得る。という意味で考えても大間違いではないでしょう。

このように、人は個人の欲求(私利)を認めたことを原点に、「土地」「労働」「知識」をお金に交換し、ありとあらゆるものがお金で交換できる時代になりました。
さらに、昨今の情報革命により、お金は電子化され、仮想のお金が交換され、世界中を流動しています。

共同体同士で、単なる価値交換の手段だったお金が、現在では、情報革命によるグローバル化、迅速化、正確性によって、誰でも、どこにでも、お金を投入し、労働と土地と知識を市場に投入して、利得を得て、その利得を再び投入する、すなわちお金でお金を増やすことが簡単に出来てしまう時代になりました。

お金がたくさんあればモノが豊かになります。モノが豊かになれば、かつてはしあわせを感じました。

戦後の日本は、アメリカ式で急速に経済成長しました。大量生産大量消費でモノの無い時代からモノがあふれる時代に。生活必需品に満たされれば、「ぜいたく品」が欲しくなる。

「ぜいたく品」は、所得の増加がすなわち全ての人の暮らしが良くなるシンボルでした。そして、「ぜいたく品」は、誰もが憧れ、欲しがる商品になった。かつて、富は誇示できるものでした。

経済成長(お金を増やす)はいいことだ。
効率化(モノを増やす)はいいことだ。

モノとお金があふれた現在、今からの「よい生活」すなわち「しあわせ」は、少し違った視点で考える必要があるのではないかと思います。

「市場」が例外的であった時代のアリストテレスはこういっています(アリストテレスによる経済の発見)。

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「共同体」「自給自足」「公正」が中心の社会
「共同体」
共同体の成員は善意(フィリア)の絆によって結ばれている。
家にも都市にもそれぞれの共同体に特有の善意があり、それを離れては集団は存続できない。
善意は互酬行動、つまりお互いに交代ですすんで負担を引き受けたり、共有したりすることによって表現される。
共同体を存続させ、維持するのに必要なことは、その自給自足を含めて、それがなんであれ「自然」なことであり、本来的に正しいことである。
「自給自足」
自給自足とは、外部からの資源に依存することなく生存する能力といってよい。
「公正」
公正には、共同体の成員が不平等な地位をもつという意味が含まれている。人生の目的の配分に関するものであれ、紛争の解決に関するものであれ、サービスの交換の調整に関するものであれ、公正を保証するものは、集団の存続に必要であるから、よいものである。
「交易(交換)」
外界との交易が自然なものになるのは、それが共同体の自給自足を支えることによって、共同体の存続に役立つ時である。
拡大家族が人口過剰となり、その成員が分散して住まなければならないようになるや否や、このことが必要になってくる。
今や、自分の余剰から一部を与える行為が無ければ、成員の自給自足は全面的に崩れることになるのである。
分け与えられるサービス(財)が交換される比率は善意の要請、すなわち成員間の善意によって支配される。なぜなら、善意がなくなれば共同体自体が停止する。
したがって、公正な価格は善意の要請から生じるのであり、あらゆる人間共同体の本質である互酬性に表現されるのである。
交易は自給自足がそれを要請するかぎりにおいて「自然」なのである。価格は、共同体の成員の地位に一致して定められれば、公正に定まり、またそうすれば、共同体の基盤である善意を強化する。
財の交換もサービスの交換に他ならない。それは自給自足に規定された財の交換であり、公正な価格によって、お互いに分有する形をとって実施される財の交換である。このような交換には利得は含まれない。財にはあらかじめ設定された周知の価格があり、例外的に利得を含んだ小売りがあるとしても、それは市場での財の分配の便宜を考慮してのことであって、市民以外の者によってなされる。

出展:経済の文明史 (ちくま学芸文庫) 文庫 – カール ポランニー (著), Karl Polanyi (原著), 玉野井 芳郎 (翻訳) 筑摩書房 (2003/6/1)
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近代で人の欲求(私利)の芽生えを垣間見たアダムスミスは、こういっています。

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交換とは、同感、説得性向、交換性向、そして自愛心という人間の能力や性質にもとづいて行われる互恵的行為である。そして、市場とは、多数の人が参加して世話の交換を行う場である。
したがって、市場は本来、互恵の場であって、競争の場ではない。しかし、「財産への道」を歩む人々が市場に参加することによって、競争が発生する。つまり、他人からの世話を出来るだけ多く獲得し、蓄積しようとする。より多くの報酬を得ようとより質の高い、より安く、より多く提供する。
競争を通じて質の悪い、高い世話は排除される。競争は互恵の質を高め、量を増す。
この市場はフェアプレイの精神によって支配される市場でなくてはならない。フェアな市場があり、世話の質を高め、よい評判を獲得すれば、正当な報酬が得られるという見込みがあってはじめて分業が可能となる。このような見込みの下で、社会的な分業が進歩する。そして分業が確立すれば、他人の労働の生産物によって自分の生活を支えていくことが出来る。これが「商業社会」である。
それは、愛情や慈恵によって支えられた社会ではない。自愛心によって支えられた社会である。

幸福は平静と享楽にある。
平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでも、ほとんどの場合、それを楽しむことができる。心の平静は「最低水準の富を得て、健康で、負債がなく、良心にやましいところがない」こと。

「賢人」
最低水準の富があればそれ以上の富の増加は、自分の幸福に何の影響ももたらさない。

「弱い人」
貧欲は、貧困と富裕の違いを、
野心は、私的な地位と公的な地位の違いを、
虚栄は、無名と広範な名声の違いを

この経済を成長させるのは「弱い人」、あるいは私たちの中にある「弱さ」である。

出展:アダムスミス 道徳感情論と国富論の世界 堂目卓生 中央公論新社 (2008/3/1)
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そして、『労働、土地、貨幣はいずれも販売のために生産されるのではなく、これらを商品視するのは全くのフィクションなのである。』と言った、ハンガリー生まれの経済学者カール・ポランニー(1886-1964)は、実在経済の統合形態を見出しています。

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実在の経済の統合形態は、経験的に言って、主要なパターンが互酬と再配分と交換の組み合わせによって達成されることを見出す。

互酬は対称的な集団間の相対する点の間の移動を指す。対称的に配置された集団構成が背後にあることを前提

再配分は、中央に向かい、そしてまたそこから出る占有の移動を表す。何らかの程度の中心性が集団の中に存在することに依存する。

交換は、市場システムのもとでの「手」の間に発生する可逆的な移動の事をいう。価格決定市場というシステムを必要とする。
実在の経済の一つの統合形態としての互酬性は、再分配と交換の両方を副次的な方法として用いる能力によって、大幅にその力を増す。

互酬性は、再分配の一定の原則によって労働負担の分有が行われることによっても達成される。例えば、「交互に」ものごとを引き受けるような場合である。
同様に、たまたまある主の必需品が不足している相手のために設定レートで行う等価物の交換によって達成される時もある。

出展:経済の文明史 (ちくま学芸文庫) 文庫 – カール ポランニー (著), Karl Polanyi (原著), 玉野井 芳郎 (翻訳) 筑摩書房 (2003/6/1)
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少し前、最も幸せな国はどこ?といった流行りが端を発し、日本でも内閣府において2011年に幸福度指標というものが試案されています。
そこで、持続可能なしあわせ(主観的幸福感)とは
・経済社会状況
・心身の健康
・関係性(つながり)
の3つが基軸になるとあります。

また、人種や文化によってもしあわせの考え方が違うのは当たり前で、例えば、アメリカと日本では、幸福像が全くちがいます。

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日本「バランス志向的幸福像」
ポジ・ネガティブの感情のバランス:良いこともあれば悪いことも隣り合わせになる。
関係性のバランス:自分だけが飛び抜けて幸福であったり,あるいは不幸であったりすることは好まれない。「人並み感覚」が大切

アメリカ「増大的幸福像」
幸福は自分の能力や環境要因などを可能な限り最大化した状態で得られるもの
若く健康で、高い教育を受け、収入が高く、人付き合いがうまく、良い仕事をもち、自尊心の高い人
「生まれてから死ぬまでずっと幸福を増大させ続ける」

出展:特集 幸福感次のステージ「日本人の幸福感と幸福度指標」内田由紀子
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幸福像が全く違う国の経済的文化を取り入れることで、その国はしあわせになるのか。。

これらを踏まえ、しあわせのイノベーションの基本となる3つの破壊を考えています。

1)お金の破壊(経済社会状況)
お金でお金を増やすのは、何かおかしい。本来、お金に価値はないはず。
ただし、自分に無い価値を他人と交換することは必要。
定性的価値をどのように表し、交換できるようにするのか。互酬、再配分とのバランス。

2)時間価値の破壊(心身の健康)
人は労働をお金に交換した。
その労働価値は、労働時間と比例すると考えることが自然になってしまった。多くの時間を働いた方がたくさんお金がもらえる。この考え方は根強い。
人生半分仕事でしあわせか。人生暇なのがしあわせか。

3)産業構造の破壊(関係性)
産業分業の破壊
 農業革命:第一次産業
 産業革命:第二次産業
 情報革命:第三次産業
近代からの革命により、効率化による分業が進み、物質的価値が増大する。

個人分業の破壊
各産業内に無数のカイシャを作り、カイシャ内で個人分業がなされる。そして、カイシャ内で情報交換がなされる。この無駄。
ただ、特に日本では、カイシャが人のつながりの多くを担っている。関係性や心身の健康の一端を担っている。

そして、これら3つの破壊が実現可能な考え方の一つとして、
アリストテレスが言う善意(フィリア)の絆によって結ばれた自給自足する共同体であり、
かつ、カール・ポランニーが言う互酬と再配分と交換の組み合わせによる実在経済を実現している共同体
であると考えられます。

参考図書:経済成長主義への訣別 (新潮選書) 2017/5/26 佐伯 啓思 (著) 新潮社 P381


イノベーションリーダーの具体像を考える

1)イノベーションリーダーの機能を阻害する要因とは?
<変化を嫌う人>
イノベーションによって、大なり小なり「変化」があります。人は本能的に変化を受け入れられません。変化に対してストレスがあります。人は本能的に安定を求めます。自らストレスの多い変化に向かっていきません。
このストレスへの耐性は、危機感をいかに感じているかによります。具体的には、危機に対するスケール感に左右されます。
スケール感
規模:自分/家族/地球人、会社法人/事業部/本部/部/課/係
時間:明日/1年後/10年後/定年まで/100年後
動機:どうあるべきか、好きか/嫌いか、課題なのか、問題なのか、自己満足か、単なる思いつきか
人にはさまざまな危機感が存在します。少なからず危機感すら無い人もいます。
<変化を嫌う組織>
横のつながり、技術分野横断、サプライチェーンにおけるすべての関係部門のつながりなどが無い、自己完結組織では、イノベーションを起こすことは難しいです。種を育てる組織と人がいないからです。
ある製品やサービスに限定した組織の集まりでは、それ以外の突飛な事(イノベーション)の発生すらしないでしょう。

2)阻害する要因を克服するにはどうすれば良いか?
<危機感の醸成>
その会社で働く人すべてが何等かの危機感を持つ必要があります。そして、その危機のスケール感の認識を合わせていきます。
<なんでもできる組織>
組織の壁を超える。何をしても良いかもしれない。それが出来る環境がある。と皆が考えられる組織編制が必要です。トップはそれを宣言する必要があります。トップの号令が無ければ、このような組織はできません。
<強力なサポータとサポート>
イノベーションの種を持つ人を見つけ、鼓舞し、強力にサポートする仕組みが必要です。
<行動変容>
最初は少しだけ変えます。変化に対する耐性を養い、危機のスケール感の認識を合わせていくためです。その後、変化を徐々に大きくしていきます。


どのようなリーダーが存在し、機能すればイノベーションの成功確率が高まると思われるか

結論、実行できるリーダー、胆識があるリーダーが存在する必要があると言える。

企業人のほとんどは、言っていることとやっていることが違う。言いっぱなしが多い。実行しない。
「実行しなくても将来は保証されている。」
「実行しなくても自分に危害はない。」
「実行しなくても世の中回っていく。」
「実行しなくても将来安泰で幸せだ。」

PDCAは流行り。
P(プラン)はする。何か形を報告せねばならないから。
D(Do,実行)は絶対しない。
「プランで満足してしまう。」
「自己完結してしまう。」
「実行して失敗するのが怖い(自分の立場が脅かされる)。」

このような、様々な心理バイアスが実行者に襲い掛かるからである。

実行とは、3現主義(現場、現物、現実)によって、現実に働きかける体系的な方法である。それはすなわち胆識であり、知識、見識の元で成り立つ。

自社にどの程度の実行力があるかを推し量り、実行できる人材と結びつけ、様々な立場の人が協調して情熱を燃やすようにし、ビジョンを明確にし、何をすべきかを考えさせる(それをやりたいのか。)。
そして、広い視野を持って、外部環境を見つめ、思い込みをせず、独立した他者の意見を傾聴し、議論し、よい質問をし、絶えずメンタルをフォローし、明確な権限を与え、責任を求める。

実行は、3現主義からの精度の高い仮説と情熱によって成り立つ。決して仮説の無い想像だけで実行してはならない。失敗するだけだ。そして、精度の高い仮説を立てるには、知識、見識とセンスが要る。

企業がイノベーションを起こすには、中から変わらねばならない。企業人の一人ひとりが、様々な心理バイアスから脱却できないといけない。安心してはいけない。情熱を燃やさねばならない。

変わる方法はトップダウンが理想である。

それが不可能であれば、アジャイル的手法を使う。小さく始めて早く成功させ、数をこなす。これを伝染させていく。

ただし、その成功を実行しない保守者に取られてはならない。大概、企業イノベーターは保守者に横取りされ、挫折する。保守者に取られない根回しとしたたかさも必要である。