デザイン思考の罠

デザイン思考を使って新しいビジネスモデルを考えるセミナーなどが増えています。
私も何度か参加させてもらい、全く知らない様々な業種の方とコミュニケーションを取りながら、何らかの道筋を探っていくプロセスはいつも有意義です。

デザイン思考のとっかかりは「発散」と「収束」です。
「発散」とは、ブレインストーミングなどを用いて思うことを出し合い、その中から考え方の軸やグループを見つけ、そこに意識を集中してさらに発想を発散させます。
「仮設を立てる」こととは異なります。「演繹」(一定の前提から論理によって必然的な結論を導き出す)でもありません。

ふつうはこれをごっちゃにします。

また悪いことに、その思考過程でいろいろなフレームワークをハメられると、発散する範囲が狭められることを経験しました。

5W1H:いつ(When)、どこで(Where)、だれが(Who)、なにを(What)、なぜ(Why)、どのように(How)
4P:製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、コミュニケーション(Promotion)
3C:顧客(Customer)、競合(Competitor)、自社(Company)
SWOT:強み(Strength)、弱み(Weakness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat)
ファイブフォース:既存の競合、新規参入の脅威、代替品の脅威、売り手交渉力、買い手交渉力

今までの経験、知識、想い(やりたいか)をいろいろ組み合わせて、目の前の困りごと(テーマ)に向けて、頭の中のもやもやを一生懸命言葉や文字列にしようと考えています。
そこに、そのもやもやが「だれ向けですか?」と言われた瞬間、現実世界に目を向けてしまい、「不満にはならない程度の月並みな業績※」に陥っていきます。
言い換えれば、「主観」が「客観」になると言えますね。「日本人は「主客一体」を基本とした精神」なので、こういった考え方は苦手なのかもしれません。

フレームワークはあくまで「収束」させるためのツールであり、「発散」時に使用すると、出来上がったものが非常につまらないものになります。

※スマントラ ゴシャール クリストファー・A. バートレット(1999)『個を活かす企業―自己変革を続ける組織の条件』ダイヤモンド社 315Pより引用


エルダリーヘルスメディケーター

超高齢化社会に立ち向かうために

我が国の「平均寿命」は世界一で、平均寿命と健康寿命の差(日常生活に制限のない期間)は、男性 約9年、女性 約13年です(平成22年)。今後、平均寿命の延伸に伴い健康寿命との差が拡大し、医療費や介護給付費の多くを消費する期間が増大することが予測されています。
一方、死因別死亡割合の経年変化は、がんや循環器病などの「生活習慣病」が増加し、さらに、「寝たきり」や「痴呆」のように、高齢化に伴う障害も増加しています。これらの疾患は、身体の機能や生活の質を低下させ、健康寿命が短くなります。今後は、治療だけでなく、予防によって、個人が継続的に生活習慣を改善して日常生活の質を維持し、積極的に健康増進していくことが重要な課題です。
※参考:健康日本21 第1章 我が国の健康水準 第1節 超高齢少子社会日本の健康課題

そこで、厚生労働省が「地域包括ケアシステム」なる政策を提唱しています。
『団塊の世代が75歳以上となる2025年を目途に、重度な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう、住まい・医療・介護・予防・生活支援が一体的に提供される地域包括ケアシステムの構築を実現していきます。』
『地域包括ケアシステムは、保険者である市町村や都道府県が、地域の自主性や主体性に基づき、地域の特性に応じて作り上げていくことが必要です。』

医療・介護については、情報の統合や遠隔医療、在宅医療による介護従事者の負担増など問題はありますが、問題が明確であるため、それなりの問題解決が図られることが期待できます。
予防については、どうでしょうか。問題が明確でしょうか?

薬局の役割

国は、予防の役目を薬局に託しました。院内処方に比べ3倍ほどの費用を出して、病院と別で店舗を構えることで、高齢者がやってきてコミュニケーションし、予防や生活支援がなされ、健康寿命が延伸されることを期待したはずです。
薬局はその期待に応えられたでしょうか。医薬分業を推進した結果、病院前に乱立する薬局。。。薬局は薬を売ってなんぼです。薬が売れなくなる予防を積極的に薬局がするでしょうか。。?

高齢者の健康志向と問題点

高齢者の45.8%が日常的に健康食品を利用※しており、健康食品、健康器具、健康な体操など健康増進に積極的です。インターネットを使用する高齢者も増加傾向(5割以上※)にあり、情報も手軽に入手できるようになりました。しかし、それらが本当に健康増進に役立っているのかを定量的に自覚できないうえに、信頼性が低い情報も反乱しており、多くの情報から有用な情報を選択することは困難で、健康被害、購入にかかわるトラブルが後を絶ちません。
一般に有効性に関する情報は、販売元の宣伝や口コミが多く、安全性に関する情報は、行政機関や保健医療関連の専門医、ドラッグストアの薬剤師などで、有効性と安全性の情報経路が別でありかつ分断されていることが問題です。
高齢者は健康でありたいと考える一方、健康増進法の情報や実践方法、そしてフィードバックが適正に行われていません。一番大きな問題は、自分の健康状態が即時にわからないことです。自分の健康状態を定量的に知るためには、血液検査や特殊な機器を用いる手法がいまだに多く、どうしても数値が知りたい高齢者は病院やクリニックに行かざるを得ないのが現状です。費用負担、交通手段の不足、診察時間がかかるなど様々な問題があり、気軽に行けるところではありません。
※食衛誌Vol.58,No.2 高齢者における健康食品の情報源に関する調査

情報化社会と高齢者をつなぐ

健康増進には、三大要素である「栄養」「運動」「休養」と併せて、「ストレス」などを含めて、現在の自分がどの程度健康なのかをリアルタイムにかつ簡単に知ることが必要です。そして、高齢者が、自分の健康状態から、健康の維持方法を見つけ、それを積極的に実行することが必要です。
現在ある情報技術を用いれば、自分の健康状態を即座に知ることは難しくありません。そして、健康を維持するためのたくさんの健康食品や健康増進方法、健康器具その他多くの健康コンテンツが提供されています。しかし、高齢者がこれら情報やコンテンツを正しく選別し、適正に使いこなすことができるのか。加齢に伴って、自ら良いものを選択することがますます困難になっていきます。

ICT/IoT活用でセルフケアの属人性の回避に解を見つける

現在、介護、薬局、病院における高齢者へのセルフケアは、肉体労働でかつ属人的な事業形態です。いずれ人口の1/3が高齢者になる日本で、属人的なセルフケアは人材不足で破綻します。
セルフケアにおける肉体労働の省人化/省力化は、もう少し技術革新が必要ですが、まだまだ動ける予防可能な高齢者に対して、情報提供の観点からICT/IoTを活用し、属人的な情報提供や指導を回避して積極的に予防してもらうことは可能ではないかと考えています。
高齢者への情報提供は、インターネットだけでは足りません。仮想と現実、すなわちインターネットとコミュニティを活用し、高齢者がコミュニティ(現場)に集まり、正しい情報伝達と選択がなされ、積極的な予防を行う状態が必要です。
いかに、高齢者に正しい情報を提供し、適正に使いこなしてもらうか。結局のところ、活発に情報を得る方法は、現場すなわち井戸端(コミュニティ)でコミュニケーションすることが最適なのではないかと考えています。ただし、口コミで正しい情報が伝わるとはかぎらない。そこで、インターネットをはじめとしたICT/IoTの技術(仮想)と現場(現実)を上手くつなぐコミュニティの育成が必要です。

予防を生業とする職業「エルダリーヘルスメディケーター」

このようなコミュニティ事業の運営は、ICT/IoTの仕組みを包括的に利用し、そのソリューションを高齢者のセルフケアに集中投入できる専門の事業者が、市町村や都道府県を引っ張っていくことによって、確実な育成と拡散が実現できると仮説を立てています。

つまり、予防を生業とする職業が必要だ。と思います。「エルダリーヘルスメディケーター」(私が作った造語)です。

健康寿命を延ばすためには、医療と介護ではだめです。予防によって、自主的に健康(セルフケア)になるしくみを大規模に包括的に確立することが、急務であると考えています。
そこで、高齢者に正しい健康情報を伝えるための無料のコミュニティを育成し、コミュニティに来たくなる。来るために動く(必然的運動)。来て新たな情報を得る。このコミュニティで情報取得、状態把握、実行のサイクルを確立する実行の場(きっかけ)を提供していくことで、超高齢化社会の一つの解が得られるのではないかと考えています。

さてどうするの?

「エルダリーヘルスメディケーター」のプランをピッチコンテストで応募しましたが、不採用になってしまいました。以下が実現イメージになります。


昼寝

仕事中に『ちょっとタバコ吸ってきます』は許されても、『ちょっと昼寝してきます』は??となります。

スペインには「シエスタ(siesta)」という風習があります。

かつての偉人、「ナポレオン」「レオナルド・ダ・ビンチ」「スティーブ・ジョブズ」「トーマス・エジソン」(敬称略)は、昼寝をしていたそうです。彼らの昼寝は、全体の睡眠の一部で短い時間の睡眠を何度か行う方法だったようです。

私は、朝5時に起きて、夜も21時ぐらいに寝て、、と、たっぷり寝ます。おまけに、昼寝も好きです。昼寝しないと明らかに午後のパフォーマンスが落ちます。
このように、どんな睡眠が効率的かは人によって違います。

どういう睡眠(パターン)をすれば、自分のパフォーマンスが最大化されるかは、自分で知っておく必要があります。いろいろ実験したり、無呼吸症候群の方は、測定と治療を受けたりしますね。

私の場合は、5時に起きるのが良いようです。6時、7時と遅くすると、頭が冴えません。ただ5時に起きると昼食後に眠くなります。なので寝ます。最近は昼食を減らして、胃に血液が取られるのを抑え、眠気を抑える技を覚えました。
ただ、私も偉人と一緒とは言いませんが、集中した後は、短時間寝る(目をつぶるだけでも良い)ようにすることが、自分のパフォーマンスを最高にする方法だと考え、実践しています。

幸い、現在は独立して仕事を行っていますので、職場環境でこの昼寝を阻害されることはありません。

サラリーマン時代はこの昼寝論争が結構ありました。

前職では、事あるごとに昼寝反対派の上司に注意されました。社規定で禁止と言っているのではありませんが、なんか気に入らなかったようです。
前々職では、昼寝を否定されることは全くありませんでした。とても居心地が良かったですね。(なんで辞めたのだろう。)

労働基準法では、労働時間の途中に休憩時間を労働者に与える事が義務付けられています。

休憩時間は当たり前ですが自由に使う事が出来ます。昼寝して過ごしても、会社の敷地の外に出たり一時帰宅しても、基本的に問題ありません。休憩時間の賃金ももらっていませんし、基本的に何をしてもよいはずです。しかし、合理的な理由が存在し、労働者の自由を大きく妨げない範囲でなら規制を設ける事は認められているようです。

合理的な理由

・・・反対派の理由はいつもこうでした。

『顧客が見学に来てここを通る可能性があるから寝るな。』
⇒昼休みであることを説明すれば良いのでは?昼休み中に昼寝を見て激怒する顧客がいる?

(昼休みですよ)『研修時、先生の前で寝るとは何事だ。』
⇒授業時間外で寝て、不愉快になる先生がいる?

人によって睡眠のやり方は違います。一部の従業員は昼寝をして、昼からの活力をチャージしようとしています。これは非合理的なのでしょうかね。

反対派のいうことはみんな一緒。『そんなに寝たいならどこか場所を見つけて寝てください。』寝られるわけがない。共通スペースで。。

一部の人には「寝る」ということが非常にいけないことであるという印象があるようです。休むべき時に休まずに、業務中に寝る方がよほどたちが悪いと思いますね。

反対派にも言い分はあると思いますが、「寝る」のを見られて会社不利益が出ると合理的に判断されるなら、「寝る」場所は作ってあげる必要があるでしょう。これで、「労働者の自由を大きく妨げない範囲」になるはずです。


夫婦共働きの住宅ローンの按分

うちは共働きです。
住宅を購入する際、住宅ローン減税がありますから、共働き夫婦は是非とも家を共同名義とし、2倍の減税を受ければお得です。
ただこの按分の割合が曲者です。

うちは6:4にしました。当然、互いの支払い能力を考えてのことだったのですが、これが失敗です。
独立当初、私の給与がゼロになったため、妻の会社から住宅手当を得ようとしました。
しかし、妻の権利は4割なので、住宅手当が得られなかったのです。5:5であれば問題ないとのこと。
支払い能力の問題などあるとは思いますが、共働きで住宅ローンを組まれる際は、5:5にされることも考慮された方が良いです。

ただ、夫もしくは妻の収入が少ない場合、5:5ですと、払った税金を減税額が超えてしまい、全額減税を受けられないことになります。

このあたりのバランスが考えどころですね。

あと、離婚すると、贈与税とか当然支払いが苦しくなるとかありますので、気を付けましょう。


Windows10の高速スタートアップの罠

Windows10高速スタートアップとは?

直前の終了時のデバイスのイメージを保存していて、これを次の起動時に読み込ませ、起動を早くする仕組みです。
これが正常に動作するには、「直前の終了時とデバイス状態が同じである」ことが大前提です。

直前の終了時から次の起動時にSDカードを指して起動。などとすると、Windows10が起動しません。バグります。。。

私はこれに何回かはめられました。

Windows10高速スタートアップを無効にする方法はあります。
他のサイトを見てくだされ。


DR(デザインレビュー)する

デザインレビュー。
デザイン(Design)は、「設計」という意味です。
レビュー(Review)は、「批評する」「再調査する」「よく調べる」「反省する」「回想する」という意味です。

JIS Q 9001(ISO 9001)では、設計・開発のレビューとして、以下の通り、規定されています。以下、ISO9001:2008(JIS Q 9001:2008) 本文抜粋

7.3.4 設計・開発のレビュー
設計・開発の適切な段階において、次の事項を目的として、計画されたとおりに(7.3.1参照)体系的なレビューを行わなければならない。
a) 設計・開発の結果が要求事項を満たせるかどうかを評価する。
b) 問題を明確にし、必要な処置を提案する。

そして、ISO9001では、「レビュー」「検証」「妥当性の確認」が区別され、7.3.5 検証、7.3.6 妥当性確認として、7.3.4 設計・開発のレビューとは別に規定されています。

設備投資においては、具体的に以下のような事を実施します。

a) 設計・開発の結果が要求事項を満たせるかどうかを評価する。
仕様書を作るところで考えた要求事項が実際の設備設計段階で実現できるのかどうかを確認します。

例えば、要求仕様書にある要求事項の1つ1つを箇条書きにして、実際の設計に反映されているかどうかをチェックしていきます。抜け漏れがあれば、それを設計に反映させるべく考えます。
本来は、要求事項のさらなる上流である、顧客のニーズや類似商品の問題点などが設計・開発段階で要求事項として含まれているかをトレーサブルにしていきます。

b)で問題を明確にし、必要な処置を提案する。
問題を明確にする。これを実際にものづくりを行う前に実施します。構想や図面が出来た段階で、設備のライフサイクルをイメージし、設計者、製作者、使用者が集まり、この設備を実際どの様に作って設置し、どの様に動かして使って、保守して、捨てるのかをシミュレートします。
ものを作る上でなぜそのような設計や運用を考えたのか。そこには必ず理由があります。
無駄な動きはないか。安全性に問題はないか。非常停止後の復帰は。油が製品に落ちないか。摩耗粉などが落ちないか。
図面というバーチャルな段階で事前にリスク(重大度×頻度×回避可能性)を定量的に算出し、優先順位を決定しながら、具体的処置を決めます。

レビュー(Review)は、「見直し」の意味が含まれており、「必要なら変える」ということを意味します。

実物が出来てしまうと変えることは大変です。図面というバーチャルな段階でのレビューは、設備のQCDのほとんどを担う非常に大切なプロセスです。


GVP GQP GMP QMS

製造販売業が遵守する省令

・GVP省令(Good Vigilance Practice)
「医薬品、医薬部外品、化粧品、医療機器及び再生医療等製品の製造販売後安全管理の基準に関する省令」(平成16年厚生労働省令第135号)
・GQP省令(Good Quality Practice)
「医薬品、医薬部外品、化粧品及び再生医療等製品の品質管理の基準に関する省令」(平成16年厚生労働省令第136号)

そして、GQP省令では、医薬品等について市場に対し最終的責任を有する製造販売業者が、製造所のGMP/QMS省令の遵守を監督すること等を定めています。

製造所が遵守する省令

・GMP省令(Good Manufacturing Practice)
「医薬品及び医薬部外品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令」(平成16年厚生労働省令第179号)
・QMS省令(Quality Management System)
「医療機器及び体外診断用医薬品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令」(平成16年厚生労働省令第169号)
・GCTP 省令(Good Gene, Cellular, and Tissue-based Products Manufacturing Practice)
「再生医療等製品の製造管理及び品質管理の基準に関する省令」(平成26年厚生労働省令第93号)

そして、GMP/QMS省令は、ISO13485に準拠しています。

旧法:「薬事法」(昭和36年法律第145号)
新法:「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」
施行令:「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律施行令」(昭和36年政令第11号)
施行規則:「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律施行規則」(昭和36年厚生省令第1号)

製造販売業 GVP省令(Good Vigilance Practice) /GQP省令(Good Quality Practice)
製造所 医薬品 医薬部外品 化粧品 医療機器 体外診断用医薬品
GMP省令(Good Manufacturing Practice) 自主規制GMP QMS省令(Quality Management System)

知識の創造

「知識とイノベーション」でイノベーションを起こすには、知識の創造が求められると述べました。

知識とはどの様に創造されるのでしょうか。

知識創造は2つのサイクルの相互作用により創造されると考えられます。
1つは「今」「現実」で創造する<見えるサイクル>
もうひとつは「信念」「真実」で創造する<見えないサイクル>です。

knowledge
<見えるサイクル>
「今」「現実」で創造する知識
・共同化
相互作用の「場」、共感知
・表出化
有意義な「対話すなわち共同思考」、概念知
・連結化
知識を結合する、体系知
・内面化
行動による学習、操作知

<見えないサイクル>
個人の「信念」を、人間によって「真実」へと正当化し創造する知識
・知識の移転(現象経験)
境界を越えて受け取り、自由に応用する自律性
・仮説の発見
個人の持つ暗黙知、様々な「情報」と深い考察による
・コンセプトの創造(概念化)
比喩的言語を多用する
・コンセプトの正当化
信念を正当化(認めてもらう)知識は正当化された真なる信念
・原型の構築(モデル)
因果関係を明確化、構造化する
個人間、部門間の協力を促す道具とする
・科学による真実の探求
原型構築の結果から真実を究める

これが、知識の創造する過程と考えられます。

それでは、知識の創造における日本人の強みとは何でしょうか。

日本人には神がいません(無です)。これは、大きな特性であり諸外国には無い強みです。

簡単に言い換えますと、「主客一体」を基本とした精神と言えます。

主客一体
西洋思想は主体と客体が別です。
つまり、主体は、動作・作用を他に及ぼす存在としての人間であり、行為・実践をなす当のもの。 客体は、行為・実践の対象となるもの。
では、人間が及ぼしたとは考えられない事柄、運命とか天災の主体は?これは神ということです。神は全知全能であると考えます。

日本人の思考は、人間含めたすべての一体化が重要な特徴です。
日本人は「もの」に対して、形なきものの形を見、声なきものの声を聞く精神があります。
「これぞそのものだ」「ほんものだ」「そういうものだ」「ものの気」「ものの気配」

日本語の「もの」という言葉は、物体や物理的存在だけを表すだけでなく、多様でかつ、独特の深みを持っています。
例えば、さくらが咲いて散る。さくらが咲いて、物的な存在としている背後に、いずれ散り、消えてなくなる「消滅」という宿命が暗示されるがゆえに、そこに「もの」の独自の美を見いだし、そして、いとおしく思います。

そして、「時」とも一体化します。
西洋は過去、現在、未来を意識します。言葉の時制がはっきりしています。日本語ははっきりとした時制がなく、時間軸が固定していません。
伝統の精神。「今」を生きる私には先ほどすでに過去となった「時」が記憶として、経験として残っている。そして、将来が目の前にくる。

心身一如
日本人の知識とは、全人格の一部として獲得された知恵。間接的・抽象的知識よりも、個人的・身体的な経験を重視します。伝統や職人気質などですね。
近代の以前で長い歴史のある「武士道」。その教育で最も重視されたのは人格をはぐくむこと。思慮、知性、弁論などは重視されなかったそうで、「行動の人」であることが重要視されました。
この様な行動・実践による身体的経験を、西田幾多郎は、「純粋経験」と言いました。

『なんと美しい花だ。花を見た一瞬、アッと息をのんだ時、私は確かにある経験をしています。しかし、この時には、「私はいま桜を見ている」ということさえもできません。「きれいな花だな」と考えたりもしません。そんな認識はないのです。そこには「私」もなければ、「桜」もありません。いわば両者が融合したような経験だけがあるのです。』

ものを考えている脳が、考えている「私」について考える事ができない。「経験」を得ているときは、主体も客体も無いわけです(主客一体)。

自他統一
日本人は人間集合を有機的生命体とみなし、他人との関係において自己を表現します。現実を典型的には、自然や他者との物理的な相互作用の中にみます。

冗長性
日本の組織のもっとも著しい特徴は、情報冗長性を重視しているところです。
情報冗長性とは、情報を意図的に重複共有させることをいいます。互いの知識領域に「侵入することによる学習」をもたらします。
たとえば、階層組織外にある非公式コミュニケーションの構築を助けます。
そして、個人は組織における自分の位置を知り、個人が組織全体の方向に合うように自己を制御することを助けます。

主客一体の概念知として私が印象的なのは、「人馬一体」です。日本人の精神と見事に一致したコンセプトだと思います。
そこにいけば、「純粋経験」が出来るのではないでしょうか。

<参考書籍>
・野中郁次郎 竹内弘高 梅本勝博 (翻訳)(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社 401P
・野中郁次郎 紺野登(2003)『知識創造の方法論―ナレッジワーカーの作法』 東洋経済新報社 292P
・佐伯啓思(2014)『西田幾多郎 無私の思想と日本人』新潮新書 256P


知識とイノベーション

イノベーションは技術革新ではありません。

平成17年の中央教育審議会答申(「我が国の高等教育の将来像」)が指摘するとおり、21世紀は、『「知識基盤社会(knowledge-based society)」の時代である。』と言われています。
また、20年ほど前のドラッガー「ポスト資本主義社会」では、
『「基礎的な経済資源」は、もはや資本でも天然資源でも労働力でもなく「知識」であり、「知識労働者」が中心的役割を果たす。』
と言われています。

このように、「知識」が注目される理由とは何なのでしょうか。

資本主義の下、人間の基本的欲求は、「資本」「労働」「技術」「資源」によって満たされてきました。
この人間の基本的欲求をマズローの欲求5段階説で現わすと、以下の通り、低次からより高次に欲求を並べる階層となり、低次の欲求が充たされると、より高次の階層の欲求を求めるとされます。
<低次>
↓1.生理的欲求
↓2.安全の欲求
↓3.所属と愛の欲求
↓4.承認の欲求
↓5.自己実現の欲求
<高次>
この半世紀で、平和が続く地域では、人々全体で欲求がより高次に移り変わっています。そして、自己実現の欲求を求める人が増加しているはずです。
マズローの言葉を借りると『自己実現とは才能、能力、可能性の使用と開発である。そのような人々は、自分の資質を充分に発揮し、なしうる最大限のことをしているように思われる』
このような自己実現を行うには、「知識」が必要なのです。これが私の仮説です。

それでは、「知識」とは何なのでしょうか。

・個人の「信念」が、人間によって「真実」へと正当化される直接的過程です。
・個人が「信念」を持つには、様々な「情報」と深い考察による「仮説」が必要です。
・そして、仮説を立証するには実践(使用)が必須です。毛沢東「実践論」でも以下のように言われています。
『知識を欲するなら、現実を変化させる実践を行わねばならない。実践、知識、さらなる実践、さらなる知識、この型の循環的反復を無限に行え。』

ここで1つの疑問が湧きます。「知識」と「技術」は違うのか?

かつて日本は技術立国と呼ばれました。高度経済成長を経て、バブルがはじけ、失われた10年、20年と呼ばれ、今に至ります。日本人にとって技術とはなんでしょうか。そして、かつての造語である「科学技術」とは何なのでしょうか?

「技術」とは?

技術には2種類あります。
1つ目は、いわゆる伝統。人類の誕生とともに、親方・徒弟間の伝承制度で同業者間のみで蓄積された職人的技術。
2つ目は、近代技術。西洋文化が基で、生活者は原則的に自由であり、自分の望むことを実現できる権利を有する。自らの欲するところを無限に追及するという近代社会形成のなかで、技術は強力な手段となり、無限に進歩し拡大するもの。
そして、技術とは、目的が同じでもいろいろなやり方があり、「唯一の正解」が無い。技術は有用を追及する。

「科学」とは?

ものごとの本質を究めようとする知的な営み。原因を追及して「唯一の正解」を求める。つまり、科学は新たな目的が達成された結果から真実を究める。

このように、技術には「目的」があり、科学には「結果」がそこにあるのです。技術は目的ありき。科学は結果ありき。
知識は個人の「信念」によって目的を生み出す。ここが違いです。

目的ありきとはどういうことか。
高度経済成長の中で、日本人は何を作ってきたでしょうか。よく考えると、すでにあるものを安く作る、品質を上げる、小さくするなどではないでしょうか。すなわち目的があったのです。

ですから、「技術革新(≠イノベーション)」ではだめなのです。技術革新は、目的ありきですから。

イノベーションは知識が創造された結果によって起こる。

と考えるべきでしょう。

「目的ありき」という着目点で今までのものづくりを見ると、本当に知識が創造され、イノベーションにつながった事例を抽出できます。そして、そこから学ぶべきです。

近代技術によって、低次の欲求は満たされました。人間の「真実」につながる新たな目的を創造する。すなわち知識の創造が求められています。

<参考書籍>
・野中郁次郎 竹内弘高 梅本勝博 (翻訳)(1996)『知識創造企業』東洋経済新報社 401P
・野中郁次郎 紺野登(2003)『知識創造の方法論―ナレッジワーカーの作法』 東洋経済新報社 292P
・丹羽清(2006)『技術経営論』東京大学出版会 363P